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【特集】2022年、私の愛聴盤~藤本史昭

毎年恒例、BLUE NOTE CLUB執筆陣による今年愛聴したジャズ・アルバム3枚をご紹介します。

文:藤本史昭


Mary Halvorson / Belladonna/Amaryllis (Nonesuch)


Bill Frisell / Four (Blue Note)


Keith Jarrett / Bordeaux Concert (ECM)


ダウンビート誌の国際批評家投票で常連化するなど、今やコンテンポラリー・ギター・シーンのトップ・ランナーといっても過言ではないメアリー・ハルヴォーソン。『ベラドンナ』&『アマリリス』は、そんな彼女が新たに契約したノンサッチからの第一弾作品だ(CDは2作同時リリースで、アナログ盤は2枚組となっているので、1作品として扱った)。

前者は、現代音楽の分野での刺激的な活動が注目されているミヴォス・クァルテットをフィーチャーしたアルバム。ハルヴォーソンにとっては初試行のフォーマットだが、かえってそれが奏功したのだろう、常套に陥らないどころか、これまできいたことのないような響きが提出されることとなった。編成の性格上、構成感は強い。でもそこには窮屈さは微塵もなく、全編で得体の知れない生命力と美が自在に蠢いている。



対して後者では、顔なじみのメンバーとのセクステットがメインとなり、比較的ジャズ色の濃い音楽が鳴らされる。とはいえそこには、先達からの目に見える直接的な影響は皆無で、そういう唯一無二感を放ちつつも、しかし音楽はきき手を放置せず、逆に惹きつけずにはおかない。3曲で先述のミヴォスQも加わっているが、たとえば〈Side Effect〉などを聴くと、もっと大規模な編成での可能性も期待してしまう。もう1歩踏み込むと整い過ぎてしまうギリギリの線を見切った絶妙な完成度。プロデュースも務めたジョン・ディートリックによるミックスも、ヴィヴィッドで素晴らしい。



ハルヴォーソンはこれらの作品ついて「世界が停滞し、ほとんどの活動を中断せざるを得なくなった2020年から作曲に取りかかったのだが(中略)、音楽がどんなふうに聴こえるかを想像する喜びがあったからこそ正気を保つことができたし、前に進もうとする理由づけにもなってくれた」と語っているが、そうやって新型コロナの災厄を創造に昇華して生まれた作品は少なくない。ビル・フリゼールの『フォー』もそんな1作であろう。

誰もが経験したことと思うが、コロナ禍は人を内向させ死を意識させる。フリゼールも同様。彼はロックダウンの最中に本作のための曲を書き溜めたそうだが、その中に、身近な人間(少年時代からの親友、友人の画家、そしてハル・ウィルナー)の死を悼むレクイエムが3曲含まれているのは、決してコロナと無関係ではないはずだ。それらの音楽は、だが哀しみだけが前面に立ってはいない。在りし日の彼らがいかに美しくエネルギッシュな人たちであったか――そんな愛と尊敬を伴った回顧が、音楽に前向きな力をもたらしているのだ。

また本作では以前録音されたことのある楽曲も取り上げられているが、それもほぼ同様の意味づけ――過去への愛着と再生――が可能だろう。〈Lookout for Hope〉〈The Pioneers〉〈Monroe〉〈Good Dog, Happy Man〉――かつては野心と闘志と探究心ではち切れそうだったそれらの曲たちが、ここではよりシンプルに、それだけに自由な空気を纏って蘇る。先のハルヴォーソンと、70歳を超えたフリゼールのこの音楽を聴き比べると、歳を重ねることの意味をいろいろと考えずにはいられない。



キース・ジャレットの『ボルドー・コンサート』は、2016年6月に行われた欧州ツアーの記録の1つで、基本的な演奏のありようは同じツアーからの『ミュンヘン2016』『ブダペスト・コンサート』と変わらない。が、かつての『ケルン・コンサート』や『マイ・ソング』を彷彿させる平易で美しいメロディが随所で出現するという点で、筆者は他2作とは異なる特別な感興を覚えた。とりわけ中盤以降。あるものは滴るような抒情を湛え、あるものは軽やかに躍動し、あるものは痛切な哀しみを胎み。〈Part11〉〈Part12〉などあまりに無防備で、ちょっと不安になるくらい感動的だ。

晩年のホロヴィッツが弾いたシューマンやシューベルトの小品に通じる清澄さ。そんなものがこの演奏からは聴こえてくる。