COLUMN/INTERVIEW

■最期のスタジオ録音作『ラヴ・レター』がリリース ―今年1月、93歳で他界した名サックス奏者、ジミー・ヒースの軌跡

文:原田和典



巨星墜つ!

2020年1月19日、およそ9ディケイドに渡ってジャズの魅力を体現し続けたジミー・ヒースが他界した。享年93、いわゆる自然死(老衰)だったと伝えられる。19年上旬には自身のビッグ・バンドで「ブルーノート・ニューヨーク」公演を開催した後、これといった活動は伝わっていなかった・・・はずだが、この新作『ラヴ・レター』を聴いて驚いた。サックスの音色も音楽全体のたたずまいも、生き生きして、輝かしく、一瞬言葉を忘れてしまうほど美しいのだ。
録音はまず、彼が93歳の誕生日を迎える前の48時間以内にニューヨークで行なわれ、その後ジョージア州アトランタでのセッションが追加された。コンセプトは“バラード”。ジミーの友人で猫好きの写真家、キャロル・フリードマンが“バラード集を録音してみませんか?”と彼に電話したことがきっかけでプロジェクトは進み、やがてその話にヴァーヴ・レコーズが乗ってきた。ヴァーヴは即座に3枚分のリリースを独占契約したというが、大手レーベルと新作ディールを結んだ90代のアーティストなどジミー以外に誰もいないのではないかと思う。共同プロデューサーには、ノラ・ジョーンズやグレゴリー・ポーターを手掛けた経験を持つブライアン・バッカスが選ばれた。以下、ジミーの軌跡と曲目紹介を簡単に述べてみたい。

<世界屈指のジャズ・ファミリー、ヒース一家の一員>
本名James Edward Heath、1926年10月25日ペンシルヴァニア州フィラデルフィア生まれ。モダン・ジャズ・カルテット等で活動したベース奏者パーシー・ヒース(1923~2005)は兄、アート・ファーマー=ベニー・ゴルソン・ジャズテットやハービー・ハンコックのバンドで活動し、比較的近年はイーサン・アイヴァ―ソンとのコンビでも健在を示すドラム奏者アルバート・ヒース(1935~、別名トゥーティ・クウンバ・ヒース)は弟にあたる。ジミーはふたりと演奏することが大好きで、自身のリヴァーサイド盤『ザ・クオータ』(61年)や『トリプル・スレット』(62年)などにも招いてきた。そして74年秋、モダン・ジャズ・カルテット解散。パーシーにスケジュールの余裕ができたことから、ジミーは兄弟によるレギュラー・ユニットの結成にとりかかる。“ヒース・ブラザーズ”は75年から20数年間続き(アルバートが離れていた時期もあったが)、80年のアルバム『エクスプレッションズ・オブ・ライフ』は4万枚の売り上げを示した。インストゥルメンタルのアコースティック・ジャズとしては異例なほどの好セールスである。また結成第一弾『マーチン・オン』(75年)収録の「スマイリン・ビリー組曲 パート2」は、ラッパーのナズが「ワン・ラヴ」でサンプリングした(トラックはQティップが制作)。これについてジミーは、“新しい世代が我々に関心を向けてくれるのは、とても嬉しいね”と語っている(2019年、ジャズタイムズの取材より)。ちなみにナズの父親は、アート・ブレイキーやデヴィッド・マレイと共演したトランペット奏者のオル・ダラ。ア・トライブ・コールド・クエストの一員でもあるQティップは、元ウェザー・リポートのドラム奏者オマー・ハキムに師事した経験を持つ。ギター奏者カート・ローゼンウィンケルとの交友もよく知られているはずだ。
ジミーは兄弟だけではなく、才能ある息子にも恵まれた。1946年生まれのパーカッション奏者/ソングライター/プロデューサー、エムトゥーメイである。もっとも子供のころは養父ジェイムズ・フォアマン(ディジー・ガレスピーやダイナ・ワシントンと共演したピアニスト)のもとで育ったとのことだが、72年のコブルストーン盤『ザ・ギャップ・シーラー』で親子共演が実現。ここでは“黒人の地”という副題のついた名曲「アルケ・ブラン」のスタジオ・ヴァージョンも聴くことができる。エムトゥーメイは72年から75年にかけてマイルス・デイヴィスのバンドに在籍、78年にファンク系ユニット“エムトゥーメイ”を結成。ステファニー・ミルズの大ヒット・ナンバー「燃える恋心(Never Knew Love Like This Before)」も書いている。

<演奏+作曲+編曲の達人>
前述『トリプル・スレット』というタイトルは、プレイ、作曲、編曲に堪能なジミーを“三拍子そろったフットボール選手”に譬えて命名された。メロディ・メイカーを兼ねるサックス吹きはジャズ界に多数いるけれど、さすがのベニー・ゴルソンやオリヴァー・ネルソンもこう呼ばれたことはないはずだ。代表曲は「C.T.A.」、「ジンジャーブレッド・ボーイ」、「フォー・マイナーズ・オンリー」、「ジェミナイ」等。56年にはチェット・ベイカーとアート・ペッパーが双頭でジミー作品集を録音している(パシフィック・ジャズ盤『プレイボーイズ』、のちに『ピクチャー・オブ・ヒース』と改題)。

<同い年の盟友ジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス>
ジミーが最初に熱中した楽器はアルト・サックスだった。“バード”ことチャーリー・パーカーに傾倒していたことから、“リトル・バード”と呼ばれたときく。47年から48年にかけてはビッグ・バンドを率い、本家パーカーとの共演も果たしている。そのビッグ・バンドのサックス・セクションには、ジミーと同い年のジョン・コルトレーン(やはり当時はアルト)もいた。ふたりは49年に揃ってディジー・ガレスピー楽団に参加し、親交はコルトレーンが急逝するまで続く。いっぽうマイルスとは50年代初頭に出会い、53年に初共演レコーディング(ブルーノート盤『マイルス・デイヴィス・オールスターズ』)を行なった。ドラッグ禍を克服後の59年初夏にはコルトレーンに替わってマイルス・バンドに参加する機会を得たものの、警察によって行動範囲が制限されていたため短期間で退団(コルトレーンが舞い戻った)。70年代には息子エムトゥーメイが、怒涛の“エレクトリック・マイルス”サウンドに貢献する。

<ジャズ文化への情熱>
80年代から教育活動にも力を入れ、ニューヨーク大学のクイーンズ・カレッジ内アーロン・コープランド音楽院、ジュリアード音楽院、ジャズモビール、ニューヨーク市立シティ・カレッジ等で後進を育成した。93年にホワイトハウスで行なわれたジャズ・コンサートにも参加、87年開始のセロニアス・モンク国際ジャズ・コンペティションでは91年、96年、2008年、13年に審査員を務めた。03年には米国がジャズ音楽家に与える最高の栄誉と目されるNEAジャズ・マスターズ賞を受賞、04年には人道博士号が授与されている。10年、自伝「I Walked With Giants」を刊行。

<曲目について>
1 バラード・フロム・アッパー・ネイヴァーズ・スイート
当アルバムのレパートリーはジミーの自作と、他のミュージシャンが書いたジミーのフェイヴァリット・ナンバーで構成されている。冒頭を飾るのは、95年のスティープルチェイス盤『ユー・オア・ミ―』でも演奏されていた一曲。極限まで音数をそぎ落としたプレイは枯淡の境地、ただしロング・トーンを筆頭に音色はみずみずしい。

2 レフト・アローン
ピアノ奏者マル・ウォルドロン(作曲)と歌手ビリー・ホリデイ(作詞)の共作。ただしホリデイはレコーディング前に他界、マルの同名アルバム(60年、ベツレヘム盤)に入っている初演ではジャッキー・マクリーンがアルト・サックスで旋律を表現した。エリック・ドルフィー、ジョニー・グリフィン、アビー・リンカーン等もカヴァーしているが、ここでは三度のグラミー賞に輝く才媛セシル・マクロリン・サルヴァント(89年生まれ)の歌声が、ジミーのテナー・サックスと共にフィーチャーされる。

3 インサイド・ユア・ハート
2010年にシアトル・レパートリー・ジャズ・オーケストラと録音した組曲「ジ・エンドレス・スピーチ」の第2楽章が、小編成用のアレンジで復活した。ジミーはソプラノ・サックスを吹くが、音程のキープが非常に難しいこの楽器から、90代にしてこんなに優しく軽やかな響きを導き出すとは恐るべき至難の業というしかない。

4 ラ・メシャ
トランペット奏者のケニー・ドーハム(1924~72)が愛娘に捧げたナンバーで、初演は作者も参加したジョー・ヘンダーソンのブルーノート盤『ページ・ワン』(63年)に収録。ジミーは84年、ドン・シックラーのアップタウン盤『ザ・ミュージック・オブ・ケニー・ドーハム』でもこの曲を演奏している。ケニー・バロンの珠玉のピアノ・タッチ、円熟味を増したウィントン・マルサリス(来年、ついに60歳になる)のトランペットも聴きものだ。

5 ドント・ミスアンダースタンド
前奏もなしに歌い始めるのは、現代屈指の男性ジャズ・シンガーであるグレゴリー・ポーター。『黒いジャガー シャフト旋風』(72年公開、原題Shaft's Big Score!)のために映画監督のゴードン・パークスが書き、O.C.スミス(元カウント・ベイシー楽団)のヴァージョンで話題を集めたバラードを、現代の空気の中に開放する。ジミーはグレゴリーの繊細で魂のこもった歌唱、緻密なビブラートを好んでいたという。

6 コン・アルマ
ジミーの師にあたるトランペット奏者ディジー・ガレスピーが50年代半ばに作曲。タイトルは“心をこめて”というようなニュアンスか。モンテ・クロフトのヴィブラフォンが主旋律を奏で、ジミーはゆったりとしたオブリガートで絡みつく。ルイス・ナッシュがブラッシュを用いて、タップダンサーが床を滑っているときのような音を出すのも楽しい。ジミーは92年のアルバム『リトル・マン、ビッグ・バンド』で、「ウィズアウト・ユー、ノー・ミー」という自作をディジーに捧げている。

Con Alma



7 ファッション・オア・パッション
2004年、ウィントン・マルサリスが音楽監督を務めるリンカーン・センター・ジャズ・オーケストラのリサイタル“Let Freedom Swing: A Celebration of Human Rights and Social Justice”のために書き下ろされたナンバー。ジョン・F・ケネディの暗殺を受けて大統領に就任したリンドン・ジョンソンへのトリビュートだ。俳優、R&Bシンガー(スティーヴィー・ワンダー風の声の持ち主)などいくつもの顔を持つモンテ・クロフトが、ミルト・ジャクソン直系のヴィブラフォン・プレイを堪能させてくれる。

8 ドント・エクスプレイン
2曲目に続き、ビリー・ホリデイ関連のナンバーが登場するが、こちらは彼女のヴァ―ジョンも残っている(44年、デッカ・レコーズに録音)。当テイクは、セッションの最後にプロデューサーのフリードマンが、ケニー・バロンに“他に弾きたい曲は?”と尋ね、その結果プレイされたのだという。ジミーはリアルタイムでは演奏に参加せず、後日サックスをオーヴァー・ダビングした。

2020年7月 原田和典



■作品情報
ジミー・ヒース 『Love Letter』

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